[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
こないだの水曜日は授業参観、懇談会でございました。
私は仕事が入っていたので、学年懇談会の途中から参加したんだけども、
なぜか学年懇談会なのに校長先生が喋ってる。
聞いてみると、
・4年生は私語も多く授業態度も悪く成績も悪い。
・これは家庭環境に問題がある。
・早寝早起き朝ごはんを徹底させよ。
・ゲームはさせるな。
・家庭で子どもと向き合う時間を作れ。
・・・というような話であるようでございます。
確かに、4年生には問題が多いのは知ってる。
だって3年生のときから学級崩壊してたんだもん。
それでも3年生のときは、息子のクラスはきちんとしてたの。
担任の先生の力量がすごかったから。
だけどクラス替えやって担任の先生も変わったら、
各クラス平等に発酵しちゃいました。
そういうことなんだよなあ。
つまり、先生方の指導力にも問題アリじゃないでしょーか。
という気分にもなるのでございますが、
「先生を比べないでください」。
クラスを安定させたいのは親だって同じ気持ちだし、
子どもを指導するためには家庭の力が重要だってのはわかる。
しかし、この校長先生の言葉は、いちいちカチンとくるんだああああ。
「ゲームをしているときは全く脳が働かないことはよく知られています」
んなもん知られてません。
文字通り全く脳が働いてなかったら、その人死んでるし。
「ゲーム脳」がトンデモだってことも、よく知られてるでしょー?
「ゲームばかりさせるな」ってのは正しいけど、
トンデモ科学で親を脅さないでくれい。
んで、散々子どものしつけがなってないと親を責めた後で、
「子どもの話は肯定的に受け止めてください」。
どうしろってんだい。
隣の席には、真面目が過ぎてうつ病になっているママ友が座ってる。
自分の指導力のなさを棚にあげて、
親を責めてりゃそれで済むんだったらラクだよな、あぁ?
そう言って校長の胸倉掴んで揺さぶることが友情なんじゃないかとすら(T_T)
その後、校長がいなくなった後のクラス懇談会で担任の先生が、
「校長先生はああ仰いましたが、
私は子どもたちがそんなにひどいとはどうしても思えず・・」
と口ごもってたのが印象的でした( ̄m ̄*)
まぁ、こういうことは息子には言えませんが。
家に帰ってから、
「校長先生は怒ってたけど、担任の先生は一生懸命みんなをかばってたよ」と言うと、
「僕の中で担任の先生がレベルアップした。僕もっとちゃんと授業聞く!」
・・・結果オーライ?
もう落ち着いたけど。
数ヶ月前の職場は本当に深刻な状況でした。
世の中には取り返しのつかないことってのは確かにあって、
でもそれを抱えた上で人は生きていかなくてはいけない。
そういう、TVや小説の中でしか見ないことを、
たかがパートの職場で自覚しちゃう状況。
私は職場の中では新入りなので、
どこか外側から見る余裕があったのかもしれない。
だから、昔からいる人たちが、どうやってその辛さを軽くしようとするのか、
そういうのを何となく見てました。
他の人を責めたり、関係を美化したり、いろいろ。
芥川の「枯野抄」を思い出してしまうような。
それを責める気持ちは私にはないです。
むしろ、そうやって自責の念を軽くすることは必要なことだと思えるですよ。
そうじゃないと生きていけないもん。
だけど繰り返し繰り返し戻ってくる後悔、
津波のように、第二波第三波と襲ってくる揺り戻し。
どの波が建物を壊すのかわかんない。
だから本当に深刻な人は、まだまだ大変そう。
彼女たちの大変さを見ていると、辛くなるです。
自分の行為が自分に返ってくるのは、本当に怖いことなんだな。
・・・・返ってゆけ、と思うような人もいるけどね(笑)
自分の行為を思い返して青ざめるといい気味だって思うような人も、
確かにいるもんねー。